質を求めるなら量をこなせ

おはようございます…

 

朝から 説教くさいタイトルで失礼します。

 

ぼんやりした頭で ふと

この言葉が響いてきました。

 

何でしょう、すごく当たり前で わかりきった事ではありますが、

一番 実行するのが難しい。

 

質を求めるなら量をこなせ

 

着付けも、文章を書くのも、料理も、そして人とのコミュニケーションだって。

 

頭でアレコレ考えて こねくり回す暇があったら、とにかく行動するしかない。

 

苦手だったら 何回も何回も 自然に身体が動くようになるまで やってみれば いつのまにか なんでも無くなるんだよね。

 

頭では わかっているのに やらない…

言い訳ばかり考えようとする自分の脳ミソにうんざり…

 

それでいて 人の事になると それが良くわかる。

 

次女は人付き合いが 超苦手。

私と似てるんだけど、

まぁ コミュニケーションをとることに 苦手意識があって、避けてしまう。

 

で、

昨夜も電話で 色々と愚痴ってきたので、明日から自分の訓練だと思って自分の周囲の人に 一日一個質問をして 話す練習をしてごらん。

なんて 話をしました。

 

お天気の話しでも良い、

お店にいつも来る 常連さんの事でも

次の休みの話しでも

とにかく 質問を考えて してごらん。

 

人に言ってないで、自分もとにかく実行しよう!

 

 

 

 

 

すごいスピードを感じる

昨日は 着付けレッスンも ブログもサボってしまいました〜

 

その代わり?

 

久々に マトリョミンの練習を朝から 必死にやって

午後から 皆んなとのグループレッスンに参加 してきました。

グループレッスンは いつも 適度に和やかに でも個々のレッスンは 細かく しっかりと 進みます。

 

言い訳ですが、

このグループメンバーに混ざっている事と この不思議な楽器を操作できる楽しさに満足していて 日々の練習をちっともしないので、いつまでたっても 同じ場所での 足踏み状態、上達してません。

 

本当は もっと上手になりたい…

 

まぁ、今回は私の技量は置いといて。

 

レッスンの後 恒例のおやつタイム。

 

皆んなで持ち寄ったお菓子をボリボリしながら、何となく おしゃべりするのが習慣となっています。

 

たまたま 昨日は CDの演奏したい曲をスマホに入れられなくなった…

って話しから、スマホやアプリ 

何やかんやと話しが広がり。

 

皆さん、職場では 毎日PCを前に 仕事している方々

 

スマホとかって 知らない間に むちゃくちゃ機能が増えてたり、するよねー!

で、アレ知ってる?

コレ使ってる?

こんな機能 使ってた?

とか 身近な情報交換。

 

ここまでネット世界が すごい事になると もうプライバシーとか 諦めた方がいいよね、怖がってるより 利用して楽に暮らした方が良いよね。

なんて意見も出て

確かに。

 

むやみに恐れて 遠ざけている場合ではない。

 

どんどん身体で体感して 使いこなし 自分の物にしていかないと 

物凄く 時代遅れの 文盲状態になってしまいそうな

そして気付いたら 何も出来ない 社会の厄介者になりそうな 不安を感じてしまうなぁー

なんて思いながら 皆んなと別れ

 

最近 YouTubeで見つけた 朗読で、「金持ち父さん、貧乏父さん」を運転しつつ 聴きながら…

うーーん、これは 今度 息子に絶対 読ませよう!

 

なんて 鼻息荒く帰宅したのでした。

 

 

 

 

 

小さな心

前回も チラリと語ったのですが、

子どもって 身体だけじゃなくて やっぱり 心も小さいんですよね  きっと。

 

子どもの頃 

例えば 友だちとケンカしたり

親に怒られそうなことを つい やってしまったり

つい はしゃぎすぎて ハタと気がついて

どうしよう!

 

 

もう その事で頭がいっぱいで 何にも出来なくなってしまう。

まだ 怒られてもいないのに いっぱい過ぎて 突然に泣き出したり…

 

なんて経験 ありませんでしたか?

 

でも いつのまにか 大人になると 

すごい心配事があっても、誰かとケンカして 

「あー!もー!ムカつく!」

なんて 言いながら 晩ご飯つくったり、仕事に出かけたり、車の運転してみたり。

同時に 色んな事を抱えながらも、ちゃんと 取捨選択しながら 暮らせるんですよね。

 

それって きっと大人だから ですよね。

容量が大きいんでしょうね。

 

子どもって 感動したら ひたすらに目を見開いて その感動を全身で受け止めるし 悲しい事があれば、この世の終わりぐらいに 悲しむ。

 

だから

だからこそ、叱らなければいけないときには、キチンと わかるように伝えなければいけないと思うんですよ。

 

でも 叱るって

どうしても これはダメって 伝えなければいけない場面って 

そんなに たくさんは無いと思いませんか?

 

車に轢かれて 死んでしまわない様に 道路に飛び出しては いけないとか

 

高い所から 落ちると大変だから、

人を押したり 自分も 落ちない様にしようね、とか。

 

後は

お店に置いてあるものは お店の人の物だから、勝手に触ったり 持って来たりしたら、お店の人がお金もらえなくなって 困るんだよ。

 

とか…

 

病院とか レストランとか 走ったり 大声出しちゃダメだよね?

 

とかとか、

 

人や自分が キケンな時

 

そういう時は、しっかりと顔を見て

なんなら 座って子どもの目線に合わせた姿勢で ソレをしてはいけない理由を出来るだけ 簡潔に わかりやすく伝える。

必要以上に ガチャガチャ言わない。

どんな行動をするべきなのか、具体的に伝える。

 

そして 出来たら ひざ小僧辺りが 触れ合う程度に スキンシップをとる。

 

頭を押さえて、とか 肩を触るとか、手を握る とかはダメ。

ひざ小僧が触れ合う程度。

 

子どもって 言葉よりも体感の方が 情報をキャッチしやすいから。

 

自分が叱られている

って事を 体感させるために 

だけど 必要以上に突き放して 不安を与える必要もないので。

 

後は 

「お母さん そんな事する子は 嫌いよ」

 

とか 言う人いるけど

それは ダメだよね? お母さんに嫌われるの嫌だったら やらない?

それじゃ いない時は やってOK?

 

その程度なら、大したことない

って理屈になりますよね。

 

それと同じ様に

「〇〇ちゃん、お願いだからやめて」

 

って言うのも ヘン。

お願いすることじゃないでしょ?

 

自発的に 危ないこと 本当に相手を困らせる事は やめなければいけません。

 

容量の小さい 心に

必要な内容をキチンとインプットするには 必要最低限の情報を的確に 伝えることが大事ですよね。

 

パソコンの初期設定 くらいに考えると そこは感情的に 振り回されることなく

スムーズにいくんじゃないかな?

って 思います。

 

特に2歳くらいの子ども

ドキッとすることを 急にやりますよね、

店で買い物してて  店の外に出てみたら、いつのまにか商品を握りしめて出て来ちゃった、とか。

 

滑り台の上で 他の子を押してた

とか。

 

思わず 「ヒィ〜〜!やめてやめて!」

って 頭に血がのぼりそうになる。

でも ヒステリックにぎゃーぎゃー騒いでも伝わらない事を 思い出して

 

とは言え 

車にはねられそうな時は 冷静になってる場合じゃないですよね、もちろん。

 

私が何処へ行くにも

3人の子どもを連れて ガチャガチャやってた時、もう5分おきぐらいに 誰かが何かを やらかす!

みたいな状況の当時に 学んだ「叱り方」でした。

 

この事を 学習していなかったら、自分自身が もうパニックだっただろうし

子ども達も 見境いなく 暴れてみたり、さぞかし 困った人になっただろうな〜

って 思いました。

 

なので、

ぜひぜひ 「叱り方」は 良く考えてみて欲しいなって おもいます。

 

 

 

大人は我慢しよう

最近、ショッピングモールなんかで フラフラしてると ちょっと気になる光景があります。

 

以前は あまり 目にした事がないように 感じるのですが…

 

ただ 私が 気にし始めて 目に付くだけなのか 定かではありませんが。

 

幼いわが子に イライラして 

嫌な感じ(なんて言うか、感情的にイジワルな感じ)で 怒ってる…

 

お父さん  &  爺ちゃん 婆ちゃん!

 

なんだかさーー

 

すごく 嫌な気分になってしまう。

そして 気になって 気になって…

 

これって 私の心の中の問題なんでしょうか?

 

んーーー。

 

心当たりが ない訳ではないですが。

 

まだね、

お母さん「もう!いいかげんにしなさい!何度言ったら わかるの!!」

子ども「ぎぃぃ やぁーーー!」

 

みたいなシーンは、よくあるし

 

まぁ〜 ね、わかるよね

大変だよ、頑張ってるんだよ みんな。

 

みたいな 気持ちなって そっと その場を後にするんですが。

 

 

まだ 言葉を ろくすっぽ理解出来そうもない 幼い子供を相手に

「だから さっき パパは言っただろ!どうして お前は さっき これで良いって 言ったのに!また そう言うわがままを言うんだ! そんな子は 次からはウンタラカンタラ…」

相当 複雑な理屈で 攻撃しまくり突き放す

子どもは子どもで

訳もわからず 泣き叫び 

「パパ〜!パパ〜!いや〜!」

 

ぐらいしか 抵抗出来ずに どう見ても理不尽な怒られ方。

 

私としては それを見ると

どうしても!

ツカツカと近づき

そのパパを引っ叩いて

「テメー!大人だろうが!我慢しろ!」

って 言ってやりたくなります。笑 

 

もちろん、実践体験は 今のところありませんが。

 

いつか やってしまいそうな自分が怖いです。

 

そうやって 子どもに対してイライラして

「俺は間違ったことは言っていない!お前が間違ってるんだぞ!いいか?だから 俺に従え!今すぐ 従え!」

っていう態度に出る自分

どうか 一歩下がって 客観的に見て欲しい。。。

 

その言葉の意味、子どもに キチンと理解されているだろうか?

 

どこかの会社組織に ありがちな

部下の能力を引き出せないダメ上司の説教に似てないだろうか?

 

はいはい、アンタは偉いです。

どーせ 私はダメ人間ですぅ、従えばいいんでしょ、従えば。

 

ってなって

どんどんどんどん やる気が無くなり 自分の本来持っている能力がどんどんどんどん奥深く しまい込まれ

もはや持っていた事すら 忘れてしまう。

そんな手遅れ状態になってから、いきなり将来はどうするんだ、お前には夢もないのか? 何が得意なんだ?何が好きなんだ?

 

なんて いわれたってね〜〜?

 

んなこたぁ 知らんがな。

 

って なりますよね?

 

だいたい ガミガミ言われた事なんて 理解出来てるはずがないんですよ。

 

急に怒られたって びっくりして 理屈じゃなくなる。

小さな心が 怒られた恐怖とショックでいっぱいになってて ただただ この恐怖から逃れたい、どうか 自分の生命線であるこの大人(子どもは無意識に自分のライフラインの大人を認識しています)の機嫌がなおって欲しい!っていう事でいっぱい。

そんな複雑な交換条件なんて 突きつけられたところで 考える余裕もなくなるんです。

 

単純に犬や猫の しつけと一緒。

飼い主が やられたら困ることを 体罰として 条件反射的に教え込むだけ。

 

でも 人間にそれで良いんですか?

 

飼い犬は 一生 飼い犬で終わります。

そこに存在して 家族との時間を共有して 心を豊かに 過ごすこと。

 

でも 子どもは?

大人になり、独り立ちします、家族を持ったり 仕事や社会の中で 新しい関係を 未知の世界を構築して行きますよね?

 

そんな心を育てる段階で 犬のようなしつけで 良いと思いますか?

 

頭ごなしに ダメ上司のように

自分の都合で 押さえつけてて大丈夫?

 

せめて交換条件の理屈が理解出来るまで 待ちましょう

大人なんだから、我慢しましょう。

 

理解できるレベルまで、降りていって

理解出来る方法で 手を差し伸べて 誘導してあげましょうよ。

 

ビジネスの世界でも 出来る人は コツコツと積み上げたり、相手が自然に行動するまで、忍耐強く 見守りつつ 見えない所で上手に人を動かしていると思いませんか?

 

気分に振り回されていると なかなか思い通りに進みませんよね。

 

たぶん、たぶんだけど

そのイライラ

ぶつける先が 間違っていると思うんです。

 

ちゃんと パートナーと話しあいましょうよ。

その仕事 見直してみましょうよ。

 

大人なんだから。

 

 

 

 

モチベーションを上げる

昨日も一昨日も 振り袖着付けの特訓でした💦

 

日々 練習しないと すぐに忘れてしまい ドギマギしてしまいます。

 

こんな事では いかん。

20歳のお嬢さまに、可愛く 素敵な晴れ姿を 楽しんでもらわなくちゃね。

 

我が子がハタチになるなんて

 

喜びもひとしお ですよね。

 

着付けすることは もちろん楽しみ

それに20歳のお嬢さんと お話し出来るなんて♪なんか嬉しい♬

 

しかしながら…

今のところ まだまだ技術に自信がない…

というか 練習していない事への 自責の念、なんですけどね。

 

練習会に参加しても、全然 皆んなのスピードとレベルについていけなくて、一昨日、昨日と超凹み 落ち込んでました…

でも もう落ち込んでる暇もない!

なのに 

なんだか やる気が出ない!

 

これって 一番マズイ状況だよなー

 

私の悪いクセ。

んーー、どうすっかなー

 

いや いや、そこを悩んでないで とりあえず やろうよ。

 

と 思い直して 物凄く重い腰を上げて 準備を始め ラジオを聴きながら、ノロノロと練習開始。

手を動かしながら、

「そうだ、下手くそでもスピード遅くても良いから とりあえず 毎日 最低一回は やる事にしよう」

って 思い付きました。

で、着せつけが終わると ちょっと気分が良くなり、スマホで撮影。

 

「そうだ、ついでにInstagramにでもupしておこう、そしたら 毎日やらないといけない気分になるかも」

 

最近、専業主婦で自宅トレーニングでダイエットに成功してる人とか多いじゃないですか。

あれって 自分1人だと 絶対に続かないけど 日々の様子をupする事で 「まいにちやります」宣言して 誰かに監視してもらってるんだよね⁈ きっと。

私も その手で行こう!

 

って 我ながら良い事 思い付いた。

という 1日でした。

 

 

 

中間報告

やっと 40記事 越えてました。

 

あ、このブログの話しです。

 

とりとめもなく、ただ 思いつくまま 頭の中のメモ帳のようになっておりますが。

本当は いくつかに キチンと分類して 読んで下さる方の 何か少しでも お役に立つ様な物に出来たら…

とか おこがましい事を考えて とりあえず、始めてみたのですが。

 

なんとなく ダラダラと書き散らかすうちに 自分の中で ようやく うっすらと 道すじの様なモノが 見えてきたかな?

って 感じです。

 

一つは

 「子育て応援 おばあちゃんの知恵袋」(仮)

子育てを充実させつつ 自分らしさも忘れない、今の時代を生きるママの時間術

 

もう一つは

「病から学ぶ 自分炸裂人生術」(仮)

病気になっても 慌てない、病気を持った自分の新しい人生の踏み出し法

 

そして

「シルバー ピラミッド構築」(仮)

磁波も狂うほどの メタ空間!世代を越えて 文化を越えて この世の極楽、最後の楽園 創造事業計画!(笑)

 

この3つのブログを もうちょい しっかりとコンセプト表現して 仲間を集め 考えを共有して そして 目的に向かって それぞれの仲間が 足元を固め

経済的自由、時間的自由を手に入れ 本当の意味で自分の人生を 自由に歩いて行けるように 

私なりに お伝え出来ることは 徹底的に お伝えし、

不安を抱えている人は しっかりとサポート出来るくらいのパワーを持って 仲間を増やしていきたい!

 

それから、もしかしてもう1つ

これは まだまだ 文章にすらしてませんが…

 

先日 姉と昔の話を 色々と話しながら気づいた事がありまして…

 

姉 曰く

私は昔、ものすごーく ネガティブ思考だったよね、いつからそんなに ポジティブな人になったの?

って 聞かれて…

 

そういえば そうだった。

 

物凄く 暗くて いつも太宰治の本とか読んでて 誘われれば いつでも自殺オッケー ぐらいにネガティブな人でした。

 

そんなこんなを 思い出し

かつての自分の様に 生きている目標もなく、むしろ生きている事が 世間の人に申し訳ない…

くらいの 自己否定感。

どうしようもない程 クズな考え方でした…

 

そんな自分が どこでどう 図々しく?

生きる事に貪欲に そして楽しくなっていったのか

生きるって 中々 良い!

人との出会いって スバラシー!

気がついたら 世の中は愛が溢れてたじゃん!

みたいな 思考になったのは どうしてなんだろう。

 

見えていなかった 世界が すぐ目の前に広がっていた事に 気づいたのは どうしてなんだろう?

って 言うのを ボチボチとお伝え出来たら 嬉しいかな? 

どこかで 何か 参考にしてもらえるかもしれないな…

なんて事も 考えたり。

 

そんな、中間報告(←誰にだよ?)でした。

 

おわり

病気ってモノは

昨夜 姉のところから帰宅しました。

 

姉の放射線照射が 一旦終了。

また 最初から通っていた市立病院で 化学療法が始まります。

 

結果的に 色んな病院に行ってみたり、

西洋医学東洋医学 色々体験し(ほぼ全て継続していますが)

 

疑問に思う事は 徹底的に 調べて質問して 納得いくまで(そこまで納得していないけど とりあえず…)治療法について 疑問を、ぶつけてきました。

 

そして 今日 姉と2人で話したんですが、何だかんだと 色々 調べて 出来る限りのことをやってみて 良かった と。

 

病院 っていうより Doctor 一人ひとりによって やっぱり見解が違うし 得意とする専門が違うし。

それでも Doctorのプライド?とか 状況、様々な事情も

考えてみれば 色々 あるわけで…

 

こちらの出方で 気分を害してしまったり? 怒られたり とても親切に 優しく接してもらったり…

様々な面を見せてもらって とても勉強になりました。

これこそ、コミュニケーション✨学びの場ですね✨

 

 

そりゃあ、患者と言えども あまり自分本位な態度だったり、傲慢な気持ちで 一方的な言い分をぶつけていたら 話は進みませんよね。

 

そうは言っても

誰しも 突然に貴方はガンです、あと半年くらいかな?抗ガン剤が嫌だ?髪の毛抜けるくらい、命とどっちが大事だよ、

みたいに突然 突き付けられたら 誰しも動揺しまくる

 

きっと 性格的に 素直な人なら、オロオロして言いなりになるしかない。

あるいは、動揺と同時に怒りが湧いて 冗談じゃない!医者だろ?

何とかしろ!

みたいな態度に出る人だって いるかも知れない。

 

そして姉のように 自分の中で 疑問点があれば、納得するまで徹底的に掘り下げタイプの人だと もう 大変なワケです。

 

でもね、

結果的に それでよかった。

 

だって 最初の病院では、治療方法は化学療法のみ。放射線は 癌が数多過ぎて無理 との事で 諦めるしかなかった。

その他 あれは?これを試して!

とか にわか知識で 色々 質問したり お願いしたけど 快い返事は もらえなかった。

 

そして その他 三つの視点からの 3人の信頼出来る医師を探し 治療を受け 相談にのってもらい、可能な治療方法を試し(経済的理由から高額は除いて)そして 放射線照射の達人⁈的なDoctorを紹介していただき 特別メニューで治療してもらうことが出来たんです。

 

まぁ、通常から言うと 最初の癌を発見した時点で かなりヤバイ状況

もう 上半身に相当 転移が見られ いつ倒れても不思議じゃないよ

と言うのは どのDoctorも 同じ見解です。

でも その後 どう立て直すかは 自分次第 と言うのも どうやら共通意識。

 

それは 良く言う 『癌の病と闘う!』

とかいうメンタル面の話しとも違う。

 

自分が どう納得して 受け入れるか。

どんな風に 病気を持った自分を立て直すか。

みたいな事じゃないかと 思ったワケです。

 

なんて言うか 自分の中の弱さを知る、

とか

 

そういう 病気になったりもする、 ある意味 とても人間味のある自分を どう表現するか?

みたいな 捉え方の方が いいのかな?

 

医療と言う とても科学的な領域でありながら 何て言うか

生と死  

人間としての心構え、哲学、 みたいなところに発展してしまうのですよね。

 

自分が何の為に生まれてきて 人生で何が表現したかったか

なんて事を 考えざるを得ない…

 

きっと 姉はこの1年近く

ずっと、そんな事を考えつつ 日々の仕事に追われ 治療に追われ…

 

身も心も 疲れてしまったのではないかと 心配になってしまいました。

 

でも 子供の頃の想い出話し

 

長女の姉

末っ子の私

 

抱えていた悩み、恐れていた感情

 

こんな歳になって はじめて 打ち明け

驚き 納得  そして 共有することが出来ました。

とても 貴重な時間でした。

 

さてと

私も日々 大切な時間を 大切にすごさなきゃ。