信じる

今日は 「信じる」って事について 考えたいと思います。

 

「信じてる」とか 言葉にすると簡単ですが、なかなか 心から信じるのって 難しいですよね。

 

本心から 信じている つもりなのに 何かの拍子に

「えっ⁈ ちょっと待って…」

とか

「もし自分だったら こうするかも…」

なんていう

ほんの少しの視点の違いで 「半信半疑」になってみたり。

 

それって パートナーだったり、家族、友だち、先生や上司

信頼しているはずの人、大切に思っている、或いは 自分と同志のような 良い意味のライバル的な存在だったり。

 

いろいろな立場で 自分が信じている存在って ありますよね。

そして それと同時に 信じていたはずの自分の心が ゆらぐ瞬間。

 

でも そんな時 同時に

 

私はその人の 何を信じていたんだろう?

 

もしかしたら、勝手に自分の中で 相手を自分にとって 都合の良い存在に置いて その勝手な位置づけの相手を信じていたり、

或いは 何があっても 自分を裏切らない存在だろう

なんて

それも ある意味 自分にとっての都合の良い思い込みだったり。

 

それって 本当に「信じる」って言える?

 

 

 

「半信半疑」 「信じる」 「盲信」

 

「信じる」のには 覚悟が必要な時もありますよね。

「信じる」ことにした自分に対する責任みたいな。

 

 

昨日から、姉のところに来ています。

 

通常の4倍以上の放射線を 局部的に照射して 応急処置的に 肝臓機能を保つそうです。

もうDoctorは 少しでも早く、とりあえず 身体の機能を保つ為の 処置に 切り替わったような…

 

先月 会った時よりも 明らかに 身体がダメージ受けてる。

そして 服の上からでも 肝臓が肥大しているのが分かる程。

 

これで 教室をやりながら、片道1時間くらいかけて 病院に通うとか どれだけ根性あるんだろう…

 

私が 友人に 姉の事を話すと

海外で ある程度 効果が認められていると 言われる漢方薬を すぐに 送ってきてくれた。

高額な商品で、滅多に手に入らないらしい。しかもサンプルというには かなりたくさん。

 

友人のご主人(この人とも親しくさせてもらっている)は 薬品の輸入を仕事としている方なので、私は 本当に嬉しく 喜んで 受けとってしまった。

 

しかし、姉は 飲みたくない という。

 

箱をあけようともしない。

 

まぁね、肝臓だからね 

もし 不適切な成分が含まれていたら それを処理する機能を 益々 酷使することになっちゃうからね。

 

この薬 どうしよう⁈