偶然

先日の話しですが

振袖の着付けの連絡事項など Facebookのグループを作りましょうって事で 

それぞれ 友だち申請したり …

 

で、皆さんも 経験あると思うのですが、

思いもよらない方と、共通の友達が…

 

あれ?

どういうつながりなのかな?

 

というのが、あったんです。

 

その時 お友だちになった方は わたしよりも 20歳ほど年下の女性。

そして 共通の知り合いは、わたしの中学時代の恩師。

 

あれ?

もしかしたら、同じ学校?  いや、まさかね…

 

と いうのも 私の通っていた中学校

 

私が通っていた頃は 一学年、20人くらい(だったと思う)しか 居ない、そして 小学校〜高校までが、ひとつの校舎にありました。

 

つまり すごく人数が少ないんですよ。

 

しかも 学生寮があり、クラスの半分近くは 寮に入っていました。つまり 生活地域が限定されていなかった。

 

そして、戦後 帰国子女の為に作られた学校ということで、その当時も今も 

外国人やら、帰国生やら、様々。

 

そして 当時の寮生って

親が仕事で家を空けることが多く 子どもにとっては 毎朝 学校に通うというのが難しい家庭環境の子が多かったように思います。

例えば 芸能関係とか、夜の仕事とか?わりと不規則 不定期な生活環境の家庭の子が多かったようでした。

 

 

だから、今も 仲良くしている友達も いますが 海外にいたり、様々。そして仕事も バリエーション豊かです。

 

そんな学校でしたので、

ほぼ知っている人も少なく、

 

今まで 偶然知り合って 同じ学校の出身だった、なんて経験は  全くありませんでした。。

 

ところが!

同じ学校の出身!だったのです。

えーっ! って お互い 驚きました

彼女は、小学四年生から、高校卒業まで通ったそうです。

稀少な偶然。

 

そんな ちょっと変わった学校だったので、

当時 私みたいに両親がいて 普通のサラリーマン家庭の子 なんて まず 2、3人? いや、私だけ?だったかも知れません

普通過ぎて かえって珍しい 存在でした。

(〃ω〃)

えーっ、そんな普通の家の子が、なんでこんなところに来てるの?

とか聞かれたことも 何度かありました。(ナゾすぎる質問)

 

今は 早くから、語学能力を身につけさせたいとかいう理由で 受験して 入学する子も多いらしく なかなかレベル高くなっているらしいですが。

 

私の時には 

そんな時代ではなかったような〜

 

勉強出来る子は 出来たし、日本語わからない子もいたし 

私のようなアホも 混雑していた、というのが、正しいと思います。

 

とにかく

超 超!個性的な生徒ばかり でしたね、

もう 生活習慣とか、なんでしょう 基本的なルール? いわゆる 学生の常識みたいなものが みんなバラバラ。

一般常識が 通じない感がありました。

 

私は ごく一般家庭の 公立小学校出身のでしたが、その中で はみ出して 馴染めなかった為に 父親にその学校を受験させられた訳ですが。

 

そんな私でさえ、驚くほど

まぁ、みんな自由で オリジナルでした。

そして、それが普通でしょ?

っていう 学校全体の雰囲気。

 

校則がどーのこーの言う先生も 一人もいないし

コ ウ ソ ク ?

それ 要りますか? なぜ?

みたいな学校でした。

あ、余談ですが 学校の制服は、40うん年前から 基本 変わりません。

 

わたしには 当時 楽園でしたね。

 

窮屈で つまらなくて 大嫌いな小学校から、面白くて 個性的で とにかく自由で お互いを認め合う めちゃめちゃ楽しい中学でした。

今 思うと 愛が溢れた学校生活でした(絶賛)

 

そんな素敵な学校から、又 家の引越しを理由に 転校させられて またしても公立中学に転校させられた時は

本当に地獄で 憂鬱で

もう自殺したいレベルでした。

 

その絶望感は その後 高校まで引きずりました。

朝になると 憂鬱で、頭痛したり 全身倦怠感ハンパなかった。

じごくだぜー、じごく。地獄。

 

別にね、イジメられてた訳でもないし、普通だったと思うんだけどね。

でも 脳内の自分の世界観が、なんていうか 破壊されかかってる、みたいな感覚でした。

いわゆる中二病だったのかも知れませんね。

そんな的確な病名は 当時ありませんでしたけどね、そうね 中二病だったのね。

 

思春期の子供には、教育環境 ホント大事だーー。

 

中二病だって 学校が自由で 愛に溢れていれば、もっと普通に すきな勉学に励めるんですよ。

って言う お話しでした。

 

いや、違うか

偶然の出会いで、過去の自分を思い出したっていう お話しでした。

 

以上。